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2014/10/09
ゲイリー・クラインのインタビュー
今回はかなりショッキングな内容なので、クラインフリークの諸君らは心の準備をして読んで欲しい。
2012年5月に発行されたSwitchBack誌の4号に掲載されたゲイリー・クラインのインタビュー要約である。リンクは既に切れていて、webで読むことはできない。
【導入】
・ゲイリー・クラインは現在(2012年5月当時)59歳
・現在もワシントン州シェヘイリスに在住
・天文学に興味を示し、地元高校のサイエンスプロジェクトへの参画、家族を育て、旅行し、今でも雨や雪以外のときは近所をバイクで走る
・よく笑い、親しみやすい人物像
【内容】
・クラインバイク廃止の理由はトレックから聞かされていない
・現在(2012年5月当時)まだゲイリー・クラインはトレックに雇用されている
・米国生産をやめたこと、その後日本でだけ販売されたことは知っていた
・(米国生産終了後)カーボン製のクラインが生産されていたことは人づてに聞いたが、現物は見ていない。モデル名も知らない。
(1995年にトレックと契約した時の気持ちはどうだったか?)
・クラインはカスタムバイクビルダーとしては大きすぎ、バイク製造会社としては小さすぎた。財政基盤も脆弱だった。トレックと連携することにより、ディーラー、60か国の販売網を確保することが出来た。だが将来、事業を辞めることになるとは思っていなかった。
(あなたはエンジニアリングをやりたいと思っていたのか?)
・細部まで詰め、試作を繰り返し、実証するということだろう。
・トレックは接着フレームのアルミバイクを作っていたが、それらは鈍重なものだ。我々はもっと高品質のアルミ合金のバテッドチューブで溶接フレームを作っていたのだ。
(トレックとの合併は幸福な結婚ではなかったのか?)
・そう。技術面で貢献できると考え、マントラを作った。それは素晴らしいコラボだったと思う。
・当時、トレックの高級フレームをシェヘイリスで製作したこともある。
・だが、トレックはアルミ合金製バイクを改良することに理解はなかった。
・トレックはフレームをコンポを運ぶデバイスとしてしか見ていなかった。クラインがフレームを最重要視したのと対照的だ。
・トレックのジョン・バーク(John Barke)と私の考えは違う。彼はクラインのブランドを買った、と思い、私はトレックはクラインの技術力を買った、と思っていたのだ。
(そうした考えの違いがわかったのはいつごろか?)
・7年後、最盛期にはシェヘイリスでは250人を雇用してたこともある。トレックのカーボン工房でAeolusフォークを作製するに至った。だが、そこか らトレックはクラインに関与することをやめ始めた。2002年にトレックはシェヘイリス工場を閉鎖し、西海岸での製造は一切やめることになった。
(そのときあなたは何をしていたか?)
・ウィスコンシンで共同作業を行った。Pave(要約者注:チェーンステイがしなるタイプのロードバイク、Paveという名称については考察にて後述)を開発していた。
(Paveについての技術的なトピックについての話・・・省略)
(Paveは市場に受け入れられたか?)
・レビューも読んでないし、どのように売られたのかはわからない。パリ=ルーベのようなレースに参加するような人々のために作ったつもりだったが、トレッ クはレーシングバイクとしては売らなかった。ちょっとスペックの劣る、ツーリングバイクとして売ろうとした。あま良くはない考えだ。
・今でもプロトタイプに乗ることがあるが、荒い舗装道路では素晴らしい快適さだ。
(トレックがクライン工場を閉鎖してからのあなたとの関係は?)
・まだ連絡はしている。2002年に10年契約を結んだからね。彼らは私の扱いについて、開発をコントロールできる経営者から、トレックがリクエストする場合にコンサルティングする、という位置づけに変えた。、、、そうしたリクエストは無いがね。
(この10年間なにをしていたか?)
・望遠鏡を作ったり、自宅を修繕したりしてたね。森林も持っているし、、、外にもいろいろ。高校のロボティクスコンテストに参画したり。あとはテニスかな。インドア・コートもあるし、ダイビングもするね。バイクももちろん重要な趣味だ。
・2000年頃、天文学に興味を持った。このへんは曇りや雨が多いので観測には向かないが、別荘(?)のある南ユタやアリゾナもいいし、アルゼンチンもいいね。
(望遠鏡を製作するのは楽しいか?)
・たぶんね。真空チャンバーを購入し、機材を切削したりしている。さらに直径の大きな望遠鏡を計画中だが、販売することも考えられるね。
(バイクライドについてはどうか?)
・いまでもPaveのプロトタイプに乗っているし、Mantraは気に入っている。今年中にシアトルからポートランドに乗って行くつもりだ。
(バイク業界で興奮する物はない?)
しばらくバイクショーには行っていない。だが、まだ実際に触れていないが、どうしても見たいものがある。それは10-12速の内装ギアをもつモンスターバイク、Rohloffだ。いつも冬のバイクライドではギアトラブルに悩まされたのでね。
(トレックとの契約が終わる2012年9月以降はまたバイク業界に戻ってくる?Paveを復活させたりはしない?)
・それは面白いが、何かを作りだすということは簡単ではない。いまや誰もが14ポンド(7kg)のカーボンバイクに乗れる。今、他人と違うことをするには どうしたらいいか。誰もが作れる製品を作る、ということではすまない。小さなスケールで行うならいいが、そうしたバイクは8000ドルほどで割が合うとい う勘定だ。
(2012年9月以降、ゲイリー・クラインのブランドネームはあなたには戻される?)
・コンサルティングに関わる契約上、クラインのブランドネームはトレックが保持している。ブランドネームは戻されるが、トレックの同意なしに使うことは出来ない。こうしたことは通常よくある契約上の取り決めである。
・再びクラインバイクを作りたいとは思っていない。かつての顧客が、私に再びバイクを作って欲しい、と思っていることは知っている。しかし、どうすべきかはわからない。家族と話し合わないといけないだろう。私はもう祖父になったのだから。
(契約満了のとき、あなたは自分自身を祝福するか、それとも逆か?)
・今よりいい健康保険に入りたいね。まあ、トレックとの交渉に文句をいうことはない。実は関わりあいたくないバイク企業も多いのだが、それに比べればトレックの連中は誠実だと思う。
・トレックは私の生活を安定させてくれた。トレックは大企業であり、常に火消しに奔走する個人ビジネスに、スタッフを提供し、サポートしてくれた。頭痛のタネを取り除いてくれるだけでもありがたいものだ。
・トレックと共に働いて、クラインをリバンプすることができたのは楽しかった。
(バイク界からクラインの名が消えたのは悲しいか?フィッシャーも最近そうなったが。)
・フィッシャーの件は驚いた。だが、フィッシャーの選択は間違ってないと思う。
・私にはセオリーがある。それは、バイクパーツが問題なく装着でき、全てが正常に動作するのであれば、人はユニークなフレームのほうを選ぶ。例えペイントがほかと違うというだけでもだ。それは、他と違うフレームを買う、ということだ。
・全ての人がシェビー(シボレー)を買うわけではない。シェビーのような形のマセラーティを買う人もいるだろう。
【考察】
このインタビューで2012年におけるゲイリー・クラインの考えが明らかになった。
すっかりリタイアメント状態のゲイリー・クライン氏であるが、これはゲイリー・フィッシャー氏も同様だ。他のバイク(MTB)レジェンドで実働しているのはトム・リッチー、ジョー・ブリーズくらいだろうか。
個人的にはクリス・キングのようにバイク界に居続けていて欲しい、と思うのだが、、、まあ祖父になるということはそういうこと(リタイアすること)なのだろうか。
確かに8000ドルのバイクはオレも買えない。
クリス・キングのCIELOは2000ドルくらいから買えるのがうらやましい。
ところで、ゲイリー氏はインタビューでPaveといっているけど、これってReveの間違いじゃないか?と思う。
1998年のKarma Paveと混同しているのではないか(Karma Paveは(パリ=ルーベを走るようなバイクではない)。年代もあわないし。
チェーンステイがしなるクラインのロードバイクといえば、2004年発売のRaveしかないような気がするが、、、もしかしたらゲイリー氏の考えによる ネーミングではこれはあくまでもPaveであって、Reveはトレックによるネーミングだったかもしれない(販売には関与させてもらえなかった旨の発言を 見よ)。
いずれ、Reve(Pave?)が最後のゲイリー氏の開発によるバイクということで間違いないだろう。
当時のクライン定点観測を再録しておこう。
(再録)
2004/04/25
レヴ誕生
クラインが、新たなロードバイク用リアサスペンションを装備した新型ロードバイク Re've (レヴ)を2005年モデルとして発表していました。
http://www.kleinbikes.com/us/klein_club/insider_news/the_2005_reacuteve.html
4月15日から行われた第14回 Sea Otter Classicにて公表されたもので、超軽量アルミニウムとカーボンのフレームに、調整可能なショック吸収システム「SPA」を装着したバイク。
Re'veとは、フランス語で「夢」という意味で、「振動の多いロングライドも夢見ごごちに変える」んだそうです。本当かよ、、、
フレームウエイトは2.9ポンド(1317g)、トラベルは14mm。
KHSの「ソフトテール」のような構造ですな。しかし、クラインは「ネガティブトラベルを持つRe'veと同様の乗り心地を提供するバイクはない」と主張してます。
その他の特徴としては、長めのヘッドチューブとチェーンステイのために、センチュリーなどのロングライドに適しているということです。
ドライブトレーンはシマノ105とUltegra、ハンドルバーはドロップ/フラットを選択可能。発売は米国において6月中旬。価格は1400から2000ドル。
考察
クラインが年度途中に2005年バイクを発売するのは珍しいのではないか?この時期に発売するのはいわゆるJune Bike。新製品の発表を年度途中に行い、販売にてこ入れするためといわれていますね。
このバイク、Palominoの開発の頃と同時期にプロトタイプが目撃されていましたな。(うろ覚え)
構造的には、ウイッシュボーンシートステイの内部にリアサスペンションユニットを仕込んであると思われますが、どのようなものが入っているかは不明です。
(以上 再録)
これが、クライン最後のバイクの実情である。けっこうな数が販売されていたような気がするが、未検証。
また、インタビューにおいて、Quantum Proなどに装備されたAeolusフォークの一部(あるいは全部)は、ウィスコンシンで製作されていたことが判明した。
(2014.10.12 追記 フォークの名称を見直したらAeolusじゃなくAerosが正しいのではないか。Aeolusはトライアスロンバイクの名前でした)
彼のインタビューで言及されている「火消し」とは、有害廃棄物規制違反やZip Gripのリコールのことなんだろう。そうした火消しに忙殺されていたゲイリー氏を、トレックはある程度自由にしてくれた。ブランドの自由を奪って、、、 それは彼が言うようにTrade off(原文に出てくる)なのだろう。
そして、悲しいことだがもうクライン氏が、クリス・キング氏のように自分の企業活動としてバイク製造を行う、ということは、おそらくないように思える。機材も全部売っちゃったし。
コンサルティング活動を行うくらいの余力はまだありそうだ。もし、かけらほどの可能性があるとしたら、それはMantraかReve(Pave)のようなバイクかもしれない。
(了)
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