KLEIN Fervor 1994 近代化改修 Upgrade Program
#2 近代化以前(1995−2000)
まーそんなわけで、クライン・ファーバーに乗って、レースなどに参戦したり、シングルトラックで遊んだりしてきたわけです。
何年か乗っているとパーツが壊れたり、ガマンできないほど重いパーツだったりしたんで、いろいろと交換してきました。思えばいろんな部品を使ってきたんですな。
いろんな部品がファーバーの上を通り過ぎていったんですね。
- 1995年 LX 7速 カンチブレーキ、SHOWAサスペンション スペシャのリム
- 1996年 XT 8速ドライブトレーン、Vブレーキ、ARAYA395リム、ライザーバー導入
- 1997年 ロックショックス JUDY SL 導入、ライザーバー廃止
- 1998年 グリップシフト9.0SL、シマノVブースター 導入
- 2000年 XTR9速ラピッドライズRディレーラー、XTシフター、ARAYA940リム 導入
最初はレースに出るなんて考えてもいなかったんで、LXで組んだんですよね。7速ですよ。時代を感じるなあ。その当時のカセットコグの最大歯数は28Tでした。今は34ですけどね。
最初につけたサスペンションは、SHOWAのスレッドヘッド用だったです。今から思えば、すごく重かった。耐えられなかったのかもしれません。ストロークは5センチくらいでしたね。ストローク的には十分でした。
乗りやすくなる、という自転車雑誌のたわごとを真に受けて、ライザーバーをつけたこともありました。かえって乗りにくくなったので1年でやめましたけどね。上れないんだよ。体重移動ができなくてね。
そのため、再び、ストレートバーにバーエンドをつけて乗っていました。
グリップシフトが流行っていた頃は、すぐそれに載っかってみました。流行に弱いなあ。構造が簡単でなかなかよかったですけど、リアディレーラーをラピッドライズにした際に、互換性の観点から断念しました。
右の写真は、96年の田沢湖、パンクでリタイヤしたときの情けない姿です。A-TACKステムが付いてますよ、、、これ、いまでも持っています。なんとなく手放せなくて。
2000年の段階ではけっこう堅実なXCバイクになってるような気がしますな。重量もだいぶ軽減されてきました。
左の写真は、近代化以前の、1997年ころの状態ですね。
これも田沢湖。2年連続してパンクでリタイアしました。今度は後輪がイッてしまいました。
つづく!