ファナティックな人々
ファナティックな人々がいる。
10年以上前に、ごくわずかな数が生産された特殊なバイクのために、決してペイしない専用パーツを作り続ける日本やドイツの人々がいる。
ユーザーのリクエストに応え、1インチのサスペンションフォークを製作するフォークメーカーがいる。
そして、そんな面倒で儲からないバイクを、厭わずにメンテナンスするバイクショップのオーナーがいる。
なにより、「奇妙な古いバイク」を愛するユーザーたちがいる。
オールド・クラインの世界を作っているのは、バイク=モノだけではない。こうした人々の存在が、オールド・クラインの世界を形成しているのだ。
たしかにそうした人々は、10年前以上に生産された古いバイク(しかも特殊規格)のためにさまざまな苦労をしているに違いない。
しかし、山で一番働くバイクはこれだと確信しているのが、こうしたファナティックな人々なのだ。彼らの思考の中心にいつもあるのが、オールド・クラインというバイクである。
クラインの方法は、バイクの世界を実際に変えた。それは、ファットチューブであったり、インテグレーテッド・ヘッドセットであったり、シールドBBであった。経験と勘、試行錯誤が支配していたフレームビルディングの世界に、理論、数値、分析を導入した。
その結果生まれたのが、あのシンプルなピナクル、ラスカル、アティチュードなどのバイク群である。
真実は全て単純な形で現れる、、、
たとえリスクを背負っても、今までとは違うものを作って、世界を変える、、、 他と違う、別の、反主流の、Alternativeの、、、 こうした言葉に形容される価値観こそ、沈滞した世界を変える、ある種の力である。
既製の概念を超えたところから革新が始まる、、、そうした考えが、かつてあったし、今も、誰もそんなことを声高には言わなくなったが、依然として存在するに違いない。
たとえば、ガレージの中で、二人の若者が木箱の中に組み上げた「Apple I」が、「パーソナルコンピューティング」という概念を生み、30年間かかって、実際に「世界を変えた」ように、、、
そのような背景のもと、ゲイリー・クラインはバイクを作り始めた、と私は確信する。
最高のパフォーマンスを持つバイクを製作することが目的なのだから、マーケティングは必要ない。だから、流行とは無縁の、個性的な色彩やデカールでよい。
パフォーマンスを最適化するために、汎用部品を使わず、莫大な手間をかけて独自規格を開発する。既存のフォークの衝撃吸収性能に不満ならば、極太のアルミフォークの特許をとる。バイクに最適化したアルミをアルコアに製作させる。シームレスなグレーディエント・バテッド用の治具を開発する。そして、独自のテスト器具や溶接用治具を発明する。
そんなバイクが2−3年で飽きられるわけがない。
オールド・クラインの価値は、いまでもけっして失われていない。
少なくとも、ファナティックな人々は、そう信じている。
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